誰でも鋭い感性を持つ領域があるとして、それが他人や世の中と呼応するかがある種その人の社会的価値や位置を決めるんだろうと思える。
虫の声を聞き分けられる人は人の顔を覚えるのが苦手かもれないし、計算の早い人は食べ物の味の差がわからないかもしれない、ということに始まって。
その領域が自分とまったく重ならない人は、すべて重なっている人と同じくらい稀なのか、どうなのか、よくわからない。
虫の声のような全員が通る道に必ずしもあるわけでもない領域もあれば、食べ物やセックスなど、誰もが通過する道路沿いの能力の人もいる。
自分について考えたとき、私の領域はどこか中空にある。浮かんでいる。
たまには地に足着いた能力を発揮することもあるけれど(?)。
ともあれ、それは、色弱が普通より色認識能力が低いことを意味するのではなく、色覚が「単に違う」のに似ている。
(「普通」の目の人には見分けにくい色が見分けやすい、とか)
きっと私はメンタルな色弱なんだと思う。
多くの人にとって差が重要なものの違いが気にならないどころかよく見えてもいない。
一方で殆どの人には一色に見える色の何十ものバリエーションの差が気になって仕方が無い。
そう考えるとどうしてこんなに自分が他人や他人といることに飽きっぽいのかが納得できる。
言葉や行為やいろいろ。
単に見えていないから理解も共感もできず、空を飛ぶ素晴らしさを語る鳥の話を上の空で聞くみみずのような気持ちになってしまう。
(「土、おいしいな♪」とか。)