手紙といえば、出さない手紙もよく書いた。
正確には、「結果的に」出さないことにする手紙。
よくそうやって自分の陥っている状況に目鼻を付け、解決の糸口を見つけた。
(そして往々にして目鼻を付けることが解決だったりもする)
日記を書こうとしても三日と続かなかったのは、それを読むのが自分しかいないということで、大いなる、大胆なる、衝撃的なまでの省略と論理の飛躍を無意識に許していたからで、過去の自分に一切感情移入できない私としては、あとで読み返しても全く意味がわからない。
(それもどうかとも思うけども、本当に自分が何を書いていたのかがさっぱり見当がつかいない。何しろ、一番「書くべき」事件なり状況をこそ書いていないのだ。)
他方で手紙というものは宛先があり、方向があり、状況を知らない他者がいる。
そこで初めて、「あのね、まずこれがあってね、次にこうなってね、そしたらね・・・」という説明責任(!)が生じて、責任感を持って文章を書き始める。
そしてまたそこで初めて、自分で状況が理解できる、という展開で、基本的に「わからない」ということで苦しむことが多い私としては「わかる」ことですとんと納得し、もう手紙そのものが不要になるといった塩梅。
そういう経緯で書かれて出されなかった手紙は10通、20通を軽く超える。
それにしても不思議なのは、出す気がもともとない手紙では上のような「すとん」が起きないということ。
結局どこか独りよがりなのか・・・。
今、私にとっての手紙はこのブログで、まぁ不特定多数に「宛てて」いるので、基本的には具体的なことはすべてぼかしているけども、なかなかの「すとん」ぶり。
「書く」ということが私に及ぼす力には改めて驚くばかり。