9.11.2012

猫との生活

日常が過ぎていく。
不思議と心は軽く。
夢の一つだった、猫との生活に日々感謝。
ああ動物って。ほんとに頭が下がる。
人生の師匠が突然同居しにきてくれたという感じ。
本能とある種の諦観と生き物としての洞察。

そして猫の美しさ。
単体で行動するネコ科動物は社会的表情を持つ必要が少なかったことで
表情が乏しいと何かで読んだが、ずっと一緒にいればそれなりに心は繋がるもので
わずかな顔面筋肉の収縮などで表情も読み取れるようにもなる。

非人間と一緒にいることで自分という人間のエゴも浮き彫りに。
一晩一人(一匹)で過ごすことはさびしすぎて耐えられないのでは、など、
寂しいと一瞬思うことがないとはいえないまでも、
耐える・耐えられないというのは人間の尺度かと思ったりする。
猫にとっては単なる環境の変化の一つであって、
「適応しなければ死」という“通常の“世界観にあっては
適応しない、という選択肢はないわけで。

しつけ一つとっても、猫的目線で考えたらなんて不条理な、ということを
押しつけているんだろうとよく思う。
それでも人間社会に沿うように(たとえば訪ねてきた友人にかみついたりしないように、とか)
あれやこれやしつけてるわけだが。

ともあれ憧れの猫生活。
ますます出不精の最近。

4.28.2012

半年

半年間もブログを放置していた。
ということに気付かなかった、というか、それが気にならなかった。
この間にあったことを思い返すも、年末、猛烈に人に会ったような気がしたが、同じ人に何回も会ったんだったっけ、とか、あれ?そうじゃなかったかな、とかとにかく記憶があいまい。

まず年末は展示会を終えるとすぐに引っ越し準備。年始に金沢に引っ越し。
3週間後、金沢市内でまたすぐに引っ越し。
1月は小学生の夏休みばりに休んで過ごし、新しい街を観光、そして生活のためのあれやこれや。
3月は東京での二人展。2月はその準備に追われる。
もしやここには春が来ないのではというほどの寒さから一転して金沢にも春が。
桜を見たり散歩したりしつつ4月末の展覧会準備。
その間、今まで大事かもと思っていたものがそうでもないことがわかったり
いい加減、小さなイライラも溜まると身動きできないほどになると感じたり
ものすごく大事なものがなくなって悲しみの底にいたり
新しい物を見つけて嬉しかったり
していた。



天気とは裏腹に気持ちがふさぐのでフランス語の動詞活用を一から復習している。
物事を学んだりやり方を覚えたりするとき、全体像からつかもうとする人とディテールから詰めていくタイプとがいるが、私は確実に前者で、「とりあえずだいたい」で生きている。
骨組みがわからないことにはどこにも行けない、と思いがちだし、そもそも頭に入ってこない。
と、考えると、人は学んだり教えてもらったりしている、いわば受け身の状態でも何かを選び取っていると思う。
自分の中に蓄積された情報のカタチを見ることで自分が情報をどう扱おうとしているかがわかったりして、教わるというのもなかなか面白い経験だ。
まるで自分の思考の裏側の表出を見るようで。
そしてさまざまある情報の中で「言語」とくに外国語はあからさまに外来なので蓄積された情報の形が見やすくて面白い。
というわけで次は条件法。
しかし思考のカタチを見ることがこれほど地味な作業とは。