昔読んだ漫画で、いまだに思い出しては笑ってしまうものがある。
ストーリーではなく、
「新しいひらがなを発明したよ。ほら、*(その文字)」
「どうやって読むの?」
「*(その文字)」
というだけのやりとりで、ばかばかしくもハッとさせられる。普段、文字が書かれている紙やスクリーンを眺めてはそれを無意識に音声化しているけど、その自動化された作業に何かが挟まれたような感じ。
メスを入れる、というほどではないけども、ティッシュを挟む、くらいの。
漢字を扱う日本人として、読めない文字自体には慣れていながらも(これがアルファベット言語の人にはなかなか理解しづらい:自分の言語に読めない文字がある?!と)、頭に音が鳴らないひらがななんて!とニヤッとしてしまう。
こうやって思考が分断されて初めて思考の流れが見える、というのは不思議で、面白くて、根が深い話。
考えてみると、「違和感」も思考の分断の一つだ。
当たり前に通用しているロジックの展開自体に疑問を持って初めて違和感を感じ、ロジックの存在を知る。
それ以外に本当に知る方法はないのか、と空恐ろしくなるが、子供のころに誰しもがある、自分だけが信じていたことが全く事実無根だったという経験を考えるだに、本当の意味ではそれでしかないような気もする。(ちなみに私は「右利きの人は右目が良く、左目が良くない」と9歳まで信じていた)
実際、極端な話、良くも悪くも違和感を感じないで過ぎる一日はあまりに少なく、良くも悪くも一つ一つ、新しいロジックを知り、少しずつ自分の組成を知る。