5.22.2009

ソリトン

多くの小さなピースからなる長い、または、大きなピースを作ってみたいとずっと思っている。
繰り返しのリズムによる、全体のリズム、出来上がるまではXX個だったパーツが出来上がると一個になって姿を消す様子にどこか心ひかれるのだ。

それはどこか部屋に似ている。
一つ一つ買い集めたもの、作ったもの、使い慣れたもの、見慣れたものが、渾然となって一つの部屋という全体、一個、になる。
部屋の場合は個別のパーツの見た目は(ソファーとネックレスのように)全く違うことも多いが、それに対する感情は似通ったリズムを持っている。
そしてそのリズムがうねりとなって何かが立ち現われる。

ここで難しいのは、現れて・顕れてくるリズムはどこまで意識できるのかということ。
XXにしたい・しようと思うことによって、「なっていく」ことの許容が阻害されることは言うに及ばず(XXっぽくしたい、と思って作られた部屋には「XXっぽくしようと思って作った」匂いしかしないものだ)、意思と意識はどこまでも交じわらない。

何かを成し遂げるには意思は大事かもしれないけれど、私にはどうもそのへんがよくわからないし、うまく意思が持てない。
意思が、限定的で非包括的な認識のありよう、またはその表れだと思ってしまうからかもしれない。
結局、観察と解釈しか自分にはできないのかも、とも思う。
結局、「水面に現れるソリトンが独立した個体のように見えながらも実は水が非線形的に形を結んだものに過ぎない」というユングに共鳴したりもして。

いまだ色々と身体にとらわれ、ジタバタもしつつ、共時的に偏在することを私はきっと志向している(意識の意識として?)。
その過程でどんどん頭が悪くなるのも是としながら。
で、どっちに行ったらいいんだっけ?(ほんと単なる馬鹿)