相手との形勢を常に意識した話し方、もしくは、ただただ相手の方向に猛進してくる(いわゆる、土足で踏み込むともまたちょっと違う、)話し方が苦手なのは、それが既にどこにも行かないディスコミュニケーションだからだ。
前者の過剰な他者への意識は、関係にフォーカスが当たりすぎていて、逆に関係が存在しないし、後者の「待たない」、「気づかない」、「見ていない」ディスコースは全てが一方通行のバッティングセンターだ。
とはいえ、手順を踏むわけでも、関係を意識するわけでもなく、ただ普通に期待と時には不安やリスクと向き合いながらラリーをするだけのことが、なかなか難しい。
大胆であり繊細であり、相手によって変わりながらも常に一定でもあるこの「様子」は、川に流れる水ではなく、水面そのものであって、それはゆるぎなく緩やかな境目。
私はそれと、紡ぎながらか剥がしながらか、常に戯れている。