4.20.2009

新緑の中

どこかに行くという感覚そのものと、どこかを見るという覚醒の瞬間のどちらを選ぶか、ということか、という話になった。
選ぶメディアはなんでもいい。
開閉するドアすらない椰子の木の下で、個ではない表現が可能になるなら、結局それがすべてだ、という気すらして。

たかだか1年弱会わないだけ、と思ってはいたが、やっぱりその人の言葉を通して見える景色は代えがたく、命に近く、透き通っていて、それをどれだけ求めていたかを思い知らされる。

どこかお互い欠けた感覚でさ迷いながら、生まれる音を待つ。