好き嫌いなど、考えても変わるものでも解るものでもないものについてが問題となるとき、決断するのは楽だ。
けれど、根本的なところでは多くのことはだいたいそういうことなんじゃないか、と思う。
考えてみたら、努力してみたら、だんだんXXXになってきた、というのはどうも信じがたい。
人についても、努力して変えられるような次元で好きにも嫌いにもならないし。
表層の好き嫌いは深層の好き嫌いのフリルでしかない。
幼稚園のとき、ウェディングドレスを見てフリルをおぞましく感じた感性は今も同じで、そんな「彩り」を身に着けないで済むならばかえって喜んでフリルをこそ作りたい。