子供のころ、箸が使えるようになったのが嬉しかったのか、電話帳を箸でめくっていた、と聞かされた。
帽子に長靴、という「制服」を着て、隣にある公園に公務員さながらの几帳面さで「通勤」していた2-3歳当時も、朝から晩まで砂場に一人でうずくまって何かをしていたらしい。
三つ子の魂百まで、というけれど、どうもそういう反復や観察が今でも好きだ。
ただ、大人になる過程で、たとえば雨粒を見続けるのもこれくらいにしよう、とか、そんな分別をもれなく身に付けたせいで、今はきっと思う十分観察はできていない。
そんな余計な分別はできる限りはぎ取って、いつもきょろきょろわくわくしていられればいい。
「なんで?」と一日に数百回繰り返していた疑問をもう一度言えればいい。
もっと言うと、その「なんで?」と問う前の状態に戻れればいい。
何かを作る時に思うのはそんなこと。
雨を見ながら、雨の始まりを思い、雨の不思議を思い、雨を作る。