3.26.2009

人を作っている分子とか気とか(同じものかもしれないけども)、最近どうも肉体の中にだけ存在するとはとても思えなくなってきていて、身体というのも何らかの「影響」や「余波」が固まったものなのかも、とすら考える。

その人がいなければその人の感情はそこにはないけども、そこには木がもともと生えている。
たとえばそういう時、その感情の余波が木の余波と重なって何かが起きるような気がする。
もっと考えると、人も何かと何かの余波だったりして、ということ。
気持ちがいい場所とか、気持がいい人とか気持ちがいい音楽の差がわからなくなってる。
それらはたまたま「気持ちがいい」の余波に含まれる要素とも言えるな、と。


余波のアナロジーとして手っ取り早いのが村だ。
ある村が好きだったり気持ちが良かったりする。それはその村を構成する人や建物や土や空気や全部によって可能になり、村もそのすべてを包含することができる。

具体的なことは大事だけど、村のことを考えること、そういう意識を持つことはもっと大事だという気がする。
良い村に住みたいし、良い村にしていきたい。
結局いつも結論は単調で退屈。
いつもいつもいつもいつも!