絵や文字を書くことも含め、ものを作る、ということが表現だと思われがちで、それが人のあり方を決めるかのようなものの見方も横行しているけども、そんな風に思ったことは一度もない。職業による偏ったものの見方や言葉づかいこそ共通すれど、似たようなことをしているからという理由だけで人と何かをシェアできるなんて、大きな幻想だ、と思う。人間を否定した、機械的な考え方、とも思う。
先日、あるお店ですごい接客を見た。実に適切な瞬間に適切なことを伝え、自信もあるけども慎み深くもあり、無駄に敬うことも蔑むこともない。そんなお店に行くたびに、あー私には一生できない!と思っていたものだが、今回はそれを通り越えて美しいダンスを見るような軽やかで爽快な気分になった。完全にアートだった。
日常に、仕事場に、遊び場に、こんなアートはよく転がっている。美しく、効率のいい包丁のとぎ方や、雨にぬれる車のフロントガラスにもアートは隠れている。あとは見つけるだけ。
私もこんな、当たり前で、ひそやかなものが作りたい。作った物がすごい生命力で迫ってくるというよりも、何かをチラリと映すひとひらの雨粒のような。道路に落ちた雨が他の水と区別がつかないように、私の作品もどこかに埋もれて消えてしまえばいいとさえよく思う。残りたくも残したくもない。海に降る雨のようなものが作れればそれでいい。