勝手なリズムで生きていて、勝手に自分だけの単語や略語を作り出す人たち。
新しい感覚を得るためではなく、ぴったりな感覚を得るために。そしていろんなことを茶化して線引きを曖昧にするために。
もっと言うと、もともと無かったところに引かれた境界線を無化するために。
どこか周りとフィットせず、自分が確かだと感じる磁場だけを踏みしめて、言葉さえも(外国語ではなく)「異国語」を話す。
そんな人たちに共感するわけだけど、よく、”出身地”が同じ/近いのでは、と思う。
生まれた、とか、育った、とかではなく、精神的な出自としての「場所」。
私の頭の中にある地図は実はそういう地図だ。
それは物理的な距離や人種や言語の違いはあまり問題とはされない、多層的で、空想的な地図。
先日読んだ本で「地図」という概念が無い国のことが描かれていて、地図を知る国から来た人々がその国の人に地図について訪ねると、その国の人たちは「それは楽譜のことですか?」と応えていた。
私の頭の中にそれらしき旋律はないけれど、その勝手な解釈については共感した。
「出身地」は「音符の大きさ」で決まる、とか、そんな出鱈目しか実際信じたくないものだ。