人と会うインターバルの長さが会話から日常を濾すことが割と好きで、日常が積もるチリとなり、単なるアップデートの対象となる感覚が好きだ。
内容、人によっては伝える必要もなく埋もれていくチリの中から、現在の自分を形成するにあたって必要であったことを抜き出す作業はまるで記録映像を眺めるかのように客観的かつ直截的。
これができる関係の人が結構いる、というのは精神衛生の観点からいっても喜ばしい。
感覚、感情そのままに瞬間を過ごして居ればこそ、それを振り返る時間が必要で、彼らに会い、話すことでやっと「自分」から出る気がする。
年齢も性別も関係の時間的長さも少しも重要ではなく、無我でも自我でもない場所にただただ「いる」ことができる。
最近気づいたのだけど、そういう人たちと一緒にいると私の場合、極端に方向感覚が弱くなってしまう。普段から結構弱いので気づかなかったけど、ちょっと可笑しいくらい迷ったり、大事なサインを見逃したりする。意識が「移動」と結びついていないのと、単純に注意力が分割できないんだろうけど。
西新宿や西荻で迷った人、そういうわけなんです。