本来ならば出かけたくないような日に、どうしても出かけたくなり、行ってみた場所が深い印象を残すことは驚きでもあり納得でもあり。
先月のある日、なじみの無いエリアにある、しかも行ったことの無いその場所に、すっかり日も暮れた時間に着いたとき、安堵するような、びりびりと刺激されるような不思議な感覚に陥った。
数ヶ月前に、どこか遠くからサインのようなものは送られていたようだったけれど、読み取ったのはまさにその日だった、という感覚。
私には、自分の感覚に鋭く訴えるモチーフやその組み合わせや、ものの見方がいくつかあって、それが目線の端にチラリと映ったとき、どうも一瞬思考が止まるようだ。
「あ。」と。
今回の「あ。」は、最初、初めての大きなイベント、初めて出会う多くの人、初めての経験、という、どこか研ぎ澄まされた一方で何かが鈍るような状況で感じ取った。
そしてその「あ。」はその後の忘却や沈黙、その状況の興奮や混乱をすり抜けて、何かのアンテナを通じて何かを強く送ってきた。
そんなわけで、もうほぼ操られるような状況でそこに向かい、その人に会い、あの人に会い、それを見た。
初めて見たのに/会ったのに、これがずっと見たかった/この人にずっと会いたかった、と思えるような出会いしか結局必要ない。
身も蓋もないというのか、大いなる諦めなのか、または希望的観測なのか。
いずれにせよ、そう感じさせてくれる「あ。」にはちゃんと気づいて、反応して、操られていこう、と思う。